HOSE

30日渋谷ネスト。初めて見ました。2部構成で、前半がゲスト3人参加で映画音楽のカヴァーとかメンバーの他ユニットの曲とかをやって、後半がメンバー5人だけでオリジナル曲のみをやる、という趣向。前半は江頭みたいな風貌のヴォーカルが乱入するとか、お笑いの要素がずいぶんあったけど、後半はそういうギミックまったくなしでひたすら曲をやり続けてましたな。

このユニットは管楽器中心でヨレヨレのアンサンブルっていう、まあマヘルみたいな感じの音なわけですが、いわゆるヘタウマじゃなくて、みなさんちゃんとうまいしアンサンブルもいいんですね。なのにわざと脱力したような、弱音といえるくらいの音量でやってて、だからヨレヨレした音に聞こえるんですよね。その脱力というか「力を入れていない」ところがキモだと思うんですが、普通にやってたら絶対どこかに力が入ってしまうはずなのに、それをあえて力を入れないようにして弾くっていうのは、相当に難しいことなんじゃないでしょうか。すっごく集中力とかを要するっていうか。それくらい、力というものがほとんど感じられない、枯れ葉が舞ってるみたいな音なんですよね。

で、その結果、無意味さとか不気味さとか、あるいは「白い空気」とかがすごくある音楽になってると思うんですが。これって個人的には、ゆらゆら帝国の『空洞です』以降のムードとか空気感とかを、すごく明瞭に表しているものとして捉えてしまうんですよね。無意味の追求みたいなものってことで。もちろんに世に向けてのアイロニーとかアンチテーゼとかってところもあると思うんですけど。いずれにしろすごく今っぽい音だと思いますね。なんかそのへんが、CDよりもライヴだとよりはっきりしていた気がします。

あと前述した後半で、似たようなテイストの平坦な曲ばっかりを、間髪入れずこれでもかというくらいに執拗に延々やっていて、最後の方にはもうメンバーにも観客にも苦行を強制しているみたいな感じがして、これも実にブキミでしたねえ。客が求めるとか、演奏する側が高揚するとか、そういうのとはまったく真逆のありようって感じで。この苦行っていうのも、「力を入れない」ことと同種の「枷」って気がするんですけど。いや宇波拓って人はすごい人ですね。インタヴューしてみたいとマジで思いました。